今やっていることの意味?
私が看護師となった理由
誰もがみな自分が死んだらどうなるのか
一度は考えたことあるのではないでしょうか
私は高校生の時に同居していた祖父を癌で亡くし
祖父の存在をずっと気にして生きてきました
当時はがんの告知が今の様にされる時代ではなく
ずっと祖父へ本当の事を知らせていない罪悪感が私の中に合ったからです
祖父は肺腺癌で気付いた時は余命1年
両親や叔父叔母との話し合いの結果未告知で治療となりました
手術のできない抗がん剤のみの治療
衰弱していく自分の身体をいつも鏡でジーっと見ていた祖父は
自分の病気の事をきっと気付いていたと思います
同居していた高校生の私にいつも看護をしてほしかったと言っていました!
当時高校生の私は祖父の気持ちに答えられず何もしてあげれなかったことに
自分の無力さを感じていました
高校2年生本格的に進路を決める段階
そんな時に祖父の病気が私が看護師となったきっかけでした
自分を見失う
看護師となって初めての部署が3次救急の救命部
希望とは違う部署に戸惑いながらも生死を彷徨っている患者さまのために必死でした
目の前で急変することは度々で心がついていかなくて苦しんだこともたくさんありました
結婚後はこの仕事と子育ての両立に常に悩み、定期的に来る不安やイライラ!
しかしこの仕事を辞めずに続けてきたのは
いつも祖父の言葉を思い出していたからです
私は何で看護師になったのか?
こんなきつくて辛い仕事をやっている意味は何か?
いつも問うていました
そんな時いつも祖父の「朋子に看病してもらいたかった」
その言葉がここまで看護師として続けるきっかけになりました
自分のやりたい事より祖父の言葉を優先し
身体が辛くても辞めたら祖父を裏切るような気がしてなかなか
家庭に入る選択を出来ずにいました
誰かのせいにして自分を犠牲にしてきた結果
私は適応障害と診断されるまで自分を追い込んでしまったのです
これまでの経験に無駄はない
私の子育て中は子供二人の保育料金は毎月5~6万、年間にして保育料だけで70万
きっと2人の保育料金だけでも400万は払ってきたのじゃないか!
一度保育園に入れるといくら辛くてもこの金額を払い続けるために
そして子供の保育の場がなくなるため仕事を辞めれない
そんな時代でした。
この時代が私たち40代以降の女性の不調の一つになっているのではないかと最近つくづく思います
無理してでも頑張る時代
そんな時代を生きてきて今思うのは
「起こる全ての事に意味がある」
最近ようやくそう思えるようになってきました
看護の現場を離れて4年
最近現場に復職し訪問診療のお仕事をさせていただく中で
自分の祖母を想うことが度々あります
私は家族の力になりたくて看護師となったのに
一番近くの家族の看護ができない!
それは物理的な距離の問題ですが、きっと距離的な問題がクリアしていても
身内の看護は出来ないのかも!
そう思うようになりました。
母が祖母を介護していてたくさんのアドバイスや情報を渡してきましたが
私の訪問看護の経験と訪問診療の経験から身内の看護や介護ほど大変な物はない
そう感じています
きっと私がここまで看護師をしてきたのは
家族の看護ができない人の助けになる
その為だったのだと今は思っています。
今自分は何でこの仕事をしているのか?
この仕事をしている意味は何か?
そう感じている方は是非自分へのセルフコーチングで深掘りしてみてください
きっと何か繋がることが見つかると思います
セッションでのコーチングをご希望の方は
トリセツワークの中で行っています。
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今日もお読みいただきありがとうございました