母となり18年目を迎えて
当時の思い出
今日で母となり18年目を迎えました。
18年前の今日は寒い雨の日☔
前日の20時ごろから何となくおなかが張っていました。
妊娠4カ月から切迫早産で常におなかが張っていた私は陣痛がわからなかったのです(笑)
主人は夜勤のため宮崎から上京の母へ相談しタクシーで病院へ向かうと即入院となった。
その日は新月
出産が重なりお部屋もなく即陣痛室へ案内された
初産の為時間がかかるであろうと予想した助産師さんから
母は一度帰宅するように言われタクシーで私の家へ帰宅する。
しかし分娩の準備のため浣腸をかけられると
一気に分娩が進行しあっという間に子宮口が8㎝といわれ家族を呼ぶように言われる
しかし主人は夜勤中
LINEでメッセージのみ残して私は分娩室へ移動となり
病院へついて4時間のスピード出産となりました。
3,700gの大きなベビー
しかし保育器に入っておりなんだか違和感を感じました。
夜勤が終わり母と一緒に主人が病院へ着いた時
「おめでとうございます💖」と迎えられ
保育器に入っていたがきっと大丈夫なんだろうと思った私たち
「出産時のチアノーゼで24時間のみ保育器管理します」と報告を受けました。
目鼻立ちのはっきりしたベビーは
主人にそっくりでした!
生後6か月で絶望を味わう
春になりベビーカーでの散歩中
ふと気づいた息子の足の太さ
何となく左右差があるなあと主人と話しながら
ネットで検索してみると
「半身肥大症」
という病気がある事を知り
医療従事者の私たち夫婦はそこから調べ始め
思い当たることが次から次へと出てきました。
早いとこ病院へ行こう!
と近くの小児外科へ行くと
「大きな病院へ行ってください!」と
東京都の病院へ紹介状を貰いました。
不妊治療をし迎えた待望の第一子
生後半年で告げられた病名は「半身肥大症」
合併症に小児がんがあります!
そんな言葉でした!
調べれば何でも出てくる時代
情報は取っていたが
いざ医者から言われるとかなりショックを受けたのを今でも覚えています!
医療の現場に戻るきっかけに
東京都の病院から国立成育医療センターへ移り
定期的な受診が始まる
地方出身の私たち夫婦には
子育てのサポートは近くには誰もいなかった💦
そんな中でも子供は成長し病気とも付き合っていななければいけない
九州への引っ越しも考えたが
医療が進んでいるのはもちろん東京!
この子のために東京での生活を選びました
妊娠時に退職をしていた私は
子育て以外の
私の居場所を求めて看護師として復帰する選択をします。
医療の現場にいることがこの子にとって
何か有益な情報があるかも!そう思っていたのです。
がしかし現実は
保育園へはいれたものの月の半分は体調不良でお休みか呼び出し
そして中途採用で入れたのは無認可保育園
保育料も高額でした。
1歳を機に認可保育園へ入れたのをきっかけに
主人は約一年間認定看護師の資格取得のため学生生活となる
現実はなかなか厳しかった💦
スペシャルキッズママの認識がなかった
病気を持っていた息子だがなぜか私にはスペシャルキッズママの認識は全くなかったのです。
きっとそれは小児科で仕事をしていたからではないか!そう感じています。
子供の事を可哀そうとは思っていなかったが、健康で産んであげれなかった自分を
所々責めるようになっていました。
辛い悲しい感情を出してはいけない
私が頑張らないと!
常にそう思って過ごしていた私
そしてこの子のために兄弟を作ってあげたい
そういう想いも沸いてきていました。
今思えばすべて自分より子供を優先し
選択してきたように思います。
感情は生もの
辛い悲しいそんな感情を外に出すことが出来なかった私は
定期的に不安定となる事がありました。
特に2人目妊娠中からの気持ちの揺らぎは自分でもコントロールすることが出来ず
2人目産後は今思えばうつ状態だったのかもしれません。
産後のホルモンの変化、貧血が産後うつを招く
今は知識があるが当時はそのような知識もなく心も身体も不安定な状態
そんな時に東日本大震災が起きる!
娘の保育園入園1か月前の事でした
来月から保育園児2人
そして身内のサポートは0
主人は月の半分は夜勤でいない夜
東日本大震災の放射能問題や計画停電が私の育児不安を助長させていました!
一人目の出産後から私たちに降り注ぐいくつもの試練
今思えば本当によく二人で乗り越えてきたそう褒めてあげたいです。
辛い悲しい想いをあまり見せられなかった私は
感情はその都度
向き合い消化していかないと後々に大きくなって出てくるのを経験しました。
感情は生もの
長時間放置することで腐った状態で表へ出てくる
そうなると消化に時間がかかり厄介な物となっていっていた
自分の中のモヤモヤにしっかり向き合おう
息子が17歳となるまでに本当に色んなことがあった
そして今現在も色んなことと日々向き合う中
私たち親は
自分より周りの家族や子供たち優先する人が多く
いつも自己犠牲になりがち
しかし長年このように周りを優先することで
子供が成長し子育ての終わりが見えてきたときに
得体のしれないモヤモヤを私は体験しました
今まで自分らしく生きれていなかった
このままの人生でいいのか?
ここは自分と向き合うサイン
自分はどうしたいのか?
自分は何が好きで何が嫌いなのか?
自分はどう在りたいのか?
自分とはどんな人間なのか?
そこをとことん向き合ってきた
そして昨年起業し事業をしていく中で定期的にその答えがわからなくなることがある
その都度向き合いながら魂の声を聞いている
私たち母親が自分らしく生きて
イキイキ輝けることが
周りの家族や子供たち、パートナーの未来を明るく出来る
そう感じる
これからまだまだ続く子育てと自分の人生を
明るく笑顔でHappyにいれるために
私たちは母親は自分を大切にしていきましょう